【良く生きるとは】ゴッホの生き方は素晴らしい【成功じゃない】

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哲学

おはようございます。
黒うさぎです。

今日はゴッホの生き方を通して
「良く生きる」とは何か、考えていきます。

 

😍27歳から絵描きになったゴッホに勇気を貰う27歳

絵描きとして有名なゴッホですが、
その人生は絵に一直線なものではなく
いろんな回り道をして、たどり着いたのが絵でした。

1853年に牧師の家で産まれたゴッホは、
小学校中退
中学校中退
失恋、解雇・・・

いきなりハードモード・・・

無給で教師をやってみたり、本屋さんの店員になってみたりしながら
「伝道師になって、貧しい人たちのために生きたい」という自分の気持ちに気づき
神学部受験に向けて勉強するも挫折・・・

勉強が進んでないから、親に学費は自分で稼げって言われたらしい

あと、勉強できない自分を罰するため、自分で自分を殴ったり、夜を外で明かしたりしたんだって。ほんと不器用な人だよ

 

それでもなんとか熱意が認められて
仮免伝道師として働くも、やっぱり解雇されて
家族の仕送りで生活しながら、スケッチする生活を始めたゴッホ
働いてないから親から怒られたり、精神病院に行けと言われたり

親の金でFIRE生活!

そりゃ怒られますね・・・

 

そんなこんなで金欠かつ孤独な兄を見かねた弟テオ
彼が金銭的に支援してくれるようになり
27歳になって、ゴッホはようやく画家としての人生を歩き始めました

27歳・・・今の私と同じ年齢です。

私が絵を描きだしたのは、
25歳、社会人2年目のゴールデンウィークなので
ゴッホより早いとも言える。

多くの絵描きが、早くから絵の修行をしていて
遅すぎたなぁと落ち込むこともある人生で
ゴッホは私に勇気をくれる!

 

😉黄色い家とひまわり

ゴッホは、光を求めてアルルへと移住した

天気の子!?

天気の子の主人公も光を追いかけて離島から東京に行ってホームレス生活してましたね。
ひょっとして天気の子はゴッホからインスピレーションを受けていた!???

それはそれとして、ゴッホが暖かい光を求めていたのは
日本へのあこがれがあったと言われています。

当時のフランスでは日本の浮世絵が流行していて
ゴッホは見たことのない日本へ憧れを抱いていたという。
日本人として、なんだか嬉しい

『空気の透明さと明るい色彩効果のために、僕には日本のように美しく見える』。親交のあった画家エミール・ベルナールに宛てた手紙の中で、移住した南フランスのアルルについて、こう書き記したゴッホ。

 浮世絵の世界に触れた彼は、その色彩表現に感銘を受け、遠く離れたアジアの島国に思いをはせるようになります。そのため、貧しい生活の中でも500点近くもの浮世絵を収集。「亀戸の梅」や「日本趣味 雨の大橋」など、自身の作品で油彩を用いつつも広重の世界観を見事に再現しました。

引用:https://www.jti.co.jp/tobacco/knowledge/variety/pipe/chronicle/2015/09/01.html

 

見たことない日本に憧れて
日本っぽいとアルルに移住したゴッホは
黄色い家を借ります。

そこに絵描きが集まって、絵描きの共同体を作る
そんな夢を抱きながら・・・

大分県杵築市にFIRE民を集めようとする

FIRE者っぽい発想

そんなゴッホの思いに呼応したのが
貧乏絵描きのゴーギャンでした

ゴーギャンも面白い人で
証券会社でまぁまぁな収入を得ていたのに、絵描きとして独立して貧乏生活&離婚
タヒチに貧乏旅行して13歳の女の子を妻にしたとか妄想だとか・・・

それはさておき、
ゴッホと貧乏生活をしてくれたゴーギャンがいいねと言ったのが
ひまわりだと言われています。

ゴッホは何故ひまわりを描き続けたのか
色んな理由が語られています。

ひまわりは太陽に向けて咲く花、ひまわりのように聖職者の顔はいつだって神に向いている
とかゴッホが伝道師を目指していたことを絡めて考えたり

モデルを雇う金がないから花を描いたとか現実的なことを言ったり

日本的なあたたかな光を求めていたゴッホは、あたたかな光を感じる花としてひまわりを選んだとか

まぁひまわりを選んだ理由はいろいろあるかもしれないけど
私が思うに、ゴッホがひまわりを描き続けたのは
ゴーギャンがいいねって言ってくれて嬉しかったからなんじゃないかなぁ

ゴッホとゴーギャンの関係性が上手くいかなくなって、もう会うことが無くなっても
ゴーギャンは「あのひまわりを送ってほしい」と言ったらしい

この味がいいねと君が言ったから ゴッホはひまわりを描く

このサラダ記念日は切ない・・・

ゴーギャンもゴッホを思い出して、ひまわりを描いた
絵描きの共同体を作るというゴッホの夢の象徴であるひまわり

タヒチでは手に入らないひまわりの種を送ってもらって
ゴッホが座っていた肘掛け椅子に描くゴーギャン
もう会うことのできない絵描きの友を思って書いた絵

ゴッホとゴーギャンの関係性を頭に入れて絵を見ると

ひまわりの絵に深みを感じられるよね!

 

 

絵描きの共同体を作りたいという「黄色い家」
あたたかな日本の光に憧れて、貧乏生活しながらも、友を思った「ひまわり」

私はそんなゴッホの夢みがちな性格を
とてもいいと思う。

 

😢生涯で一枚しか売れなかったけど折れない心

ゴッホの絵は、生前に一枚しか売れなかったという(諸説あり)

赤いブドウ畑という作品です

普通の人なら、何年も絵を描いて
一枚しか売れなかったら
心が折れて絵を描くことをやめると思う。

それでも描き続けたゴッホの心の強さを
私は尊敬している。

何故、ゴッホは売れもしない絵を描き続けたのか?
それは、彼が描いていたのは売るための絵ではなく自己実現のための絵だったからなんじゃないか
と思ってます。それに関しては次で詳しく述べるとして

私も絵を売っていて6冊売れた。
つまり6ゴッホ

6倍もゴッホより報われているなら
もうネガティブになる理由なんてない

ノーモアネガティブ!

ゴッホの生き方はアイカツ同様、私に勇気をくれる。

 

🌒 よく生きるとはなんなのか

ゴッホの人生は悲劇だと、人は言う。

確かに、成功やカネといった分かりやすいものとは縁のない人生だったのかもしれない。
耳を切り落としたり、近隣住民によって病院にぶち込まれたり、しまいにゃ自殺(諸説あり)してしまうのだから

しかし、私はゴッホの生き方は素晴らしいと思うのです。

生きる意味とは、その人にしかできないことをすることである。
これは私の持論ですが、真理に到達していると思う。

この世は諸行無常で、全てが無意味ですから
ならば、限りある命を他人でもできることに費やすべきではなく
自分にしかできないことをすることで、最も自分を満たすことができる。

この論はマズローの欲求階層説で
自己実現欲求が最上位であり、存在欲求として
他の欠乏欲求と一線を画すことからも、裏付けられることだと考える。

じゃあ自分にしかできないことってなんだよって話ですが
絵を描いたり、作曲したり、アイドルになったり
結局そういう昔ながらの人間の楽しみなんじゃないの?

私の発想はストア派の哲学者に近いですが
一方でエピクロス派の思考・・・
「食って寝てゲームして快楽をむさぼるのが俺の良く生きるってことだ!」
って発想も理解できなくはない。

自己実現を目指そうが、快楽に身を任せようが
どのみち「他人でもできる仕事はリタイアしよう」
という考えは共通してるってのは面白いですね。

だいぶ脱線したな?

私が好きなゴッホの絵は星月夜

絵に真摯に向き合って、狂ってしまったゴッホにしか描けない一枚だと思う。

写真があるのだから、写実的な絵より
幻想的な絵を描いた方が、絵である意味がある
と私は思ってる。

炎の様な「いとすぎ」はゴッホの絵に対する情念
渦巻く油絵は、彼の病んだ精神性
光輝く月と星からは、消えることのない憧れや夢を
感じる

ゴッホの人生は悲劇に見えるかもしれないが
私からすれば、社会の歯車として他人の利益のために生きる方がよっぽど悲劇だ!

ならば、貧乏であろうとも絵にかじりついて自己実現し
一枚しか売れなくても自分の理想や夢を詰め込んで
幻想と狂気の中で命を使い切った方がずっと良い

とは言え、報われない中で
自分の思いを貫くことは、誰にでもできることじゃない

彼の折れない心を、抱いた夢を、素直な性格を、狂気と絵を
私はいいなと思う。

ゴッホのひまわりは、なんと現物を日本で見ることができます。
SOMPO美術館という東京都新宿駅が最寄りの美術館で
是非、みなさん黄色いひまわりの絵を見に行って
絵に真摯に向き合ったゴッホについて思いを馳せてください。
私も実家に帰る時は、見に行きたいと思います。

よく生きるとは、自己実現をすることができたか
その人にしかできないことにコミットしたかが重要で合って
他人に認められるか認められないかは関係ない。

そういう観点から考えると、
売れ筋ではなく、描きたいもの・・・「黄色」や「いとすぎ」や「ひまわり」を描いたゴッホは
よく生きたと言えるのではないか。

星月夜もひまわりも、彼にしか描けない作品なのだから。

日に1枚以上のペースで絵を描き上げていた
しかも売れない絵を

そんな彼の絵に対する情熱を、私は尊敬している。

 1日4時間以上働くことを強制されない世界では、誰もが持っている科学的好奇心のおもむくままに追求できるし、絵描きはみな、どんな優れた絵でも、飢える心配なしに描くことができる。若い作家は、画期的な作品を書くために必要な経済的独立を得ようと、商業主義に阿ったセンセーショナルな作品(最終的に経済的独立を果たしたときには、こういう駄作を書きすぎて情熱も才能も失っている )を書いて目立つ必要はなくなる。

引用:ラッセル「怠惰への賛歌」

今日は、このまま同人誌2作品目の表紙を描こう
ひまわりを抱いた二人が、あたたかな陽光に包まれる
そんな絵を・・・

 

同人誌作りました↓

墨紅 After dark

 

コメント

  1. Mune より:

    黒うさぎさん、おはようございます。
    『星月夜』良いですね。

    名古屋市美術館でゴッホ展やってます。

    27才はまだまだ若いです。
    大好きな絵を描きまくってください。

    黒うさぎさんの人生は黒うさぎさんだけのものです。

    あなたしか出来ない事をやり抜いて、自分の人生を生き抜いてください。

    陰ながら応援しています。

    • kurousagi より:

      名古屋は良いとこですね。飯も旨い!
      私は私にしかできないことを貫きます!

      Muteさんは人生通して、何をするんだろう
      そう思いつつ、今日はブログを書く!

  2. ほっと より:

    素敵な記事でした。
    ゴッホのエピソードを初めて知れました。そして色んな説があるのですね。

    ひまわりの現物が日本にあるとは!。いつか見に行きたいです。

    • kurousagi より:

      ほっとさん、コメントありがとう!
      いなくなってしまったかと
      実は寂しみを感じていた( ˘ω˘)