黒うさぎです。
私は社会人2年目に唐突に絵を描き始め、
それから1年半後に絵に集中するため退職して無職になりました。
周りから狂ってると言われることも多いですが、
同様に狂っていると言われているゴッホには親近感を感じています。
彼の作品をじっくり時間をかけて鑑賞して、
絵を描き始めた頃のvividな感情を失わないよう感想を残していきます。
絵を見ると
心が豊かになる
★スヘーフェニンゲンの海の眺め
1882年8月19日の手紙
こちらは先週1週間、強風と嵐と激しい雨で、ぼくはスヘーフェニンゲンに何度もその様子を見に行った。小さな海浜風景を2枚描いて戻ってきた。明日、再び戸外へ出かけられたらと思う。
こんな絵も描けるのかと驚いた。
ゴッホの絵を見て「上手い」と思うことは少ないのだが
この絵は「上手い」と思った。
特に白い絵の具のガビガビした感じが、白波の表現に適している。
また、水にぬれた地面と、砂浜の色のコントラストが
テクニックを感じさせる。
波や大地や雲はおおざっぱさが自然のダイナミズムを感じさせていいのだが、人に注目すると三角形に白をちょんって感じでいつものゴッホ。
嵐の中、海を見に行く性格が
よくニュースで聞く「台風の中、川を見に行って流される人」そのもので
好奇心旺盛なんだろうなと思わされる。
油絵のガビガビで
自然のダイナミズムを
良い感じに表現できている
★緑の葡萄畑
1888年10月3日の手紙
ちょうど描いたばかりの葡萄畑は、緑色、紫色、黄色で、ブドウの房が菫色、若芽が黒とオレンジ色だ。日ごとにあたりは色鮮やかになっていく。木々の葉が全て黄色になって、それは青い空を背景に、驚異的な光景になるのだろう
赤い葡萄畑はゴッホの生前に売れた唯一の絵として有名だが、
緑の葡萄畑があるとは知らなかった。
赤い葡萄畑と比較すると、この絵には希望を感じる。
緑の葡萄畑と青空が、秋のすがすがしい空気を体現している。
人物は帽子と日傘とスカーフといったファッションがオシャレで
どことなくヴィクトリア朝時代を思わせる。
と思いきやヴィクトリア朝は1837年から1901年らしいのでドンピシャだ。フランスとイギリスで国は違うが、文化は流れてきているだろう。
青空は
本だと右側が茶色が混じった感じでどす黒くなっている。
一方で、ネットで拾った画像だと綺麗になっている。
本物は古い本が茶色くなるように、茶色が混じってしまったのだろう。
左側にはヤシの木のように幹が長い木、
真ん中には糸杉、右側には空と混じった川が見える。
赤い葡萄畑でも川が流れていたので、
同じ場所を違う角度から書いたのかもしれない。
ブドウは夏に水が少ない地域が栽培に適していて、
手前の灰色と黄色が混じったような色は砂のようだ。
だんだん色鮮やかになっていく葡萄畑の絵を描きながら
紅葉を待ちわびるゴッホ・・・純粋で可愛いですね。
紅葉が楽しみ♪って
童心を失ってなくていいね
★小作地
「田舎家」とも呼ばれていたりする。
書籍に載っていた絵は、この画像よりも全体的に黒かった。
1883年11月16日
ズヴェロの周辺は今の時期にはどこもかしこも、ときには見渡すかぎり芽生えた小麦畑で、これまで全く見たことも無い初々しい緑だ。麦畑の上の空の微妙なライラック=ホワイトの効果が働いて、僕にはとても描けないと思うが、しかし僕にとってこの色合いはぜひ知らねばならぬ基本の色調であるわけだ。
ライラックという白い花がある。花言葉は「恋の芽生え」
白色をわざわざ花で例えるのは粋だなと思った。
ピンク色と言わずに桜色と言うようなものだろう。
ではこの絵がその白色を感じさせるのかと言われれば、
私の感想は先述した通り「黒い」だった。
麦は11月に緑色なのか?と疑問に思って調べたところ
10月に植え、11月に緑色になり、7月に黄色になることが分かった。
家が埋まるほど麦が生い茂っているが
生えてるところと生えてないところを描写しようとするとめんどくさいから仕方ないね。
麦畑は油絵!って感じのべたべた塗りなのに対して
空は良い感じに色が混じりあっていて(おそらく筆も麦とは別の細いものを使っているだろう)、この絵のメインは空であることが分かる。
このズヴェロという土地にリーバーマンという画家が滞在していたことをゴッホは手紙の中に記しているのだが、リーバーマンはゴッホを批判していたらしい。
ブルジョワジーなど富裕階級の生活風景や肖像画を描くようになり、ドイツの上流社会で尊敬される画家となった。一方で、より新しい世代であったゴッホなどを評価せず、ベルリンのナショナルギャラリーがゴッホの作品を巨費を投じて買った際には非難の一文を書いている。
引用:マックス・リーバーマン – Wikipedia
やっぱ上級国民ってクソだわ
★カラスの群れ飛ぶ麦畑
1890年7月24日の手紙
ぼくらは絵を通してのみ、何かを語ることができる。
作品自体はこの苦難の中でも安定した状態を保っている。作品のためにぼくは自分の人生を危機にさらし、ぼくの正気は半分失われた。
いいさ・・・。だが何をするべきなのか・・・。
ビビッドな麦畑の黄色と、どす黒い青の空が
ミスマッチで、一度見たら忘れることができない鮮烈な印象を受ける。
ゴッホ最後の作品として、知名度も高い。
ゴッホは自分が評価されない現実に苦しんでいた。
ゴッホの手紙を読み続け、自分でも絵を描いている私にはわかる。
少なくとも手紙の内容を見れば、自分の人生がうまくいってないことを自覚していたと分かるだろう。
私はゴッホの「評価されなくても描き続けた」という事実を素晴らしいと思っているが
彼も人間であり、苦しみながら作品を書いていたということを考慮すると
より一層素晴らしいと思うのだ。
この絵は明らかに時間をかけて作られたものではなく
衝動的に、太い筆でべたべたと書きなぐったような絵だ。
何の成果も上げられない自分に焦りがあったのではないか?
だからとにかく早く1枚を仕上げようとした・・・
そんな風に感じる。
白い二つの月のように見えるものは雲だろう。
「雷雲の下の麦畑」などを見れば、ゴッホがこのように丸っとした雲を描くことがわかる。
絵を通してのみ、何かを語ることができるというゴッホはこの絵を通して何を伝えたかったのだろうか?カラスの群れで心の闇を、真ん中に伸びる轍で自分の将来を、あるいは明るい色と暗い色のコントラストで鮮烈に生きた自分の人生を・・・?
はっきり言って、まったく上手い絵ではない。
しかし、私はこういうオラァ!と衝動のままに描かれた本能的な絵が好きなのだ。
いっさい評価されず苦しみながら書き続けた
という事実が、ゴッホの価値を高めていると思う
★ひまわり
1889年1月23日の手紙
もしもわれらがモンティセリの華の絵が収集家に500フランの価値があるなら、そして事実その価値どおりだが、ぼくは自分のひまわりの絵にも500フランの価値があると、スコットランド人やアメリカ人の収集家に対して思い切って言えるだろう。
この現物を、SOMPO美術館で見てきた。
その日は「シダネルとマルタン展」が開催されていた。
誰だよそいつって感じで、
メインはゴッホを見るつもりで行った。
シダネルとマルタンは上流階級の絵描きで
ゴッホとは真逆の存在で、鼻持ちならない奴らだと思った。
絵は
想像よりもずっとでかい。
成人の上半身ぐらいの大きさがある。
これほどまでにでかい絵を描くのは大変だろうなと
そんなことを椅子に座って思ったのを覚えている。
ちなみに
2023年、ナチスの犠牲者の遺族が所有権を主張して
返還するよう裁判を起こされているらしい。
令和になっても、話題に事欠かない一枚。
閑話休題
自分の絵に価値があると主張できるゴッホはやっぱりすごい。
だって誰も買ってくれないんだぜ?
コミケで実売0冊で、俺スゲェってイキれるかって話。
誰にも認められなくても、ここまで自己承認できるのは
偉人としか言いようがない。
あるいは虚勢だったのかもしれないが
だとしたら、ちょっと切ない。
1889年1月28日の手紙
きみが滞在している間に、ゴーギャンの部屋に30号のひまわりが2点あることに気づいたに違いない。ちょうどぼくは、まったく同一に制作したこれらの作品の写しに最後の筆を入れたところだ。どうにかぼくに仕事を続けさせてほしい。もしそれが狂人の絵だったとしたら残念だと言うしかない。それに対してぼくにできることは何もないのだ
このひまわりと全く同じセルフコピーが
オランダとイギリスにあるらしい。
日本が世界的に激安すぎて出ていく理由は現状ないのだが
戦争前夜などで脱出する必要がでてきた場合
海外に行って、この絵を見てみたいものだ。
「それに対してぼくにできることはない」
という一説は共感できる。
連載会議に落ちたタイミングで
この感想を書いている。
担当編集者さんが好きと言ってくれた作品でも
編集長が嫌いと言ったら、そこで道は途絶えるのだ。
ゴッホの絵は、生前1枚しか売れず
死後になって評価された。
あるいはラブクラフトも生前評価されることは無く
他人の文章の校正で食いつなぎ、自費出版した本が一冊あるだけだったのに
今ではクトゥルフ神話としてカルト的人気を博している。
創作活動の世界は残酷だ。
できれば生前に評価されたいものである。
ゴッホのように生きたい気持ちと
ゴッホのようになりたくない気持ち
黒うさぎ氏が昔作った漫画↓
↓そのうち続き描く
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