「僕はゴッホ」を読んで未来を案じる無職の絵描き

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おはようございます。
黒うさぎです。
ただの絵描きです。

ゴッホをリスペクトして、
ひまわりの絵を描いたこともあります。

本日は、
ゴッホの生涯を知るべく
「僕はゴッホ」を読みました。

 

👶生まれ


1853年3月30日、オランダのフロート・ズンデルトという村で
ゴッホは生まれました。


引用:https://youpouch.com/2015/09/16/301322/

(フロート・ズンデルトのフラワーパレード。
人口の4倍もの観光客が訪れる)

父は牧師、母は製本工の娘、そして5人の弟妹がいました。

1883年にテオに宛てた手紙にも、
「父さんには、心が狭いというか、なんだか氷のように冷たいところがあるよね」
と書いている。

引用:僕はゴッホ

どうやらゴッホは父親とは合わなかったようですね。

私も父親には
うーん……と思うことがあります。
生活保護ガー!っていつも怒ってますからね

生活保護支給額の GDP に占める比率 日本 0.3% (OECD 加盟国の平均は 2.4%)
受給者の人口に占める比率 日本 0.7% (OECD 加盟国の平均は 7.4%)

引用:諸外国の生活保護はどのくらい支給するの? 生活保護を外国人に支給しているの? | ナスタチウムのブログ (ameblo.jp)

寛容な社会を目指すため、
ひろゆきに「生活保護でよくないっすか?」
ってもっと言ってもらわないといけない。

ひろゆきー!

助けてくれぇええええ!

 

😓働きだすも、すぐ辞めるゴッホ


ゴッホは16歳になると
画商の叔父のもとで働き始めます。

しかしゴッホは金儲けを第一とする思想に憤りを感じ、
勤務態度が悪くなり解雇されてしまいます。

嫌儲民!?

金儲け第一主義に対する嫌悪感、分かる。

「絵で食ってくのは難しい」って言われるたび、
食ってくために描いてんじゃねぇんだよ!絵を描きたいから描いてんだよ!
と言いたくなる。

 

😭嫌儲思想を強めてみすぼらしくなるゴッホ


仕事をクビになって実家に帰ったゴッホは
聖職者になるべく勉強を始めるも、頭が悪く不合格。

しかし、伝道師として仮免は取れたので炭鉱地区ボリナージュへ
信仰を実践するため赴任する。

炭鉱労働者の貧しい生活を見たゴッホは
彼らと同じように自分も貧しく暮らすことを決意する。

そのみすぼらしい恰好が聖職者の評判を下げるとして
仮免許も剥奪されてしまう・・・

不器用すぎる・・・

「みすぼらしい恰好が聖職者の評判を下げる」って判断した奴って、
他人の目を気にしててダサいな、と思います。

着飾った司教とか
物語で出てきたら確実に悪役だよ?

良い服、良い時計、良い靴を履いてる奴はカッコ悪い。

むしろひろゆきみたいにサンダル&Tシャツで乞食してる方が
カッコいいんですよ。

私もそうありたいから
服は何年も買ってない。

 

🎨ついに絵を描きだすゴッホ


仕事もダメ、宗教もダメ
次々と道を断たれたゴッホは芸術に情熱を注ぐようになります。

いつまでも定職に就こうとしないゴッホに周囲はいら立ちを募らせ、
1880年には父親に精神病院に連れていかれそうになる。

その後は弟のテオに経済的に支えてもらいながら創作活動をつづけました。

弟のカネでFIRE!

私の場合、
仏陀の教えに傾倒し、仕事を辞め
定職に就くわけでもなく日々を過ごし、

確実に自分はADHDだと思ったので、
精神科を自らの意志で受診しようとしました。

(数カ月先しか予約できないと言われたので、受診はしませんでした)

ゴッホの場合は弟がしっかりしているから弟のカネでFIREできましたが、
私の場合は弟がダメダメなので、自分のカネでFIREしないといけません。
そこがつらいとこですね・・・

 

🖌死後評価された理由=生前評価されなかった理由


ゴッホやゴーギャンの作品は生前あまり評価されず、
死後に評価が高まった。

ゴッホは大量の手紙を
ゴーギャンは新聞を書いていたのだが、
それが死後評価された理由だと私は考えている。

ほのかなランプの灯りの中でジャガイモを食べる彼ら農民は、
さらに差し出しているまさにその手で、大地を耕しているんだ。
この絵はそんな肉体労働によって彼らが誠実に日々の糧を手に入れていることを表現したんだよ。

引用:僕はゴッホ

(「ジャガイモを食べる人々」byフィンセント・ファン・ゴッホ)

美術を語る奴はうんちくをたくさん語れる作品を好む。
ゴッホやゴーギャンは自分の作品や自分の経歴を解説しまくっているので
うんちくを語りやすい。

故に、死後評価された。
私はそう考える。

(「ヤコブと天使の戦い」 byゴーギャン)

↑この絵を、ゴッホやゴーギャンの人生を全く知らない人が見たら
評価するだろうか?

おそらくされない・・・
つーか、実際されなかったから生前は評価されなかったわけで

この絵の勢いは彼らの人生込み、
つまり彼らが残した文章があって完成される。

そして、その文章が生前評価されなかった理由でもある。

嫌儲主張や政府批判を繰り返し
社会不適合性を文章でバンバン表に出していたからこそ
生前は取り上げられなかった。

そうなってくると、私も他人事ではない。

実際、労働嫌悪を表明するたび、
大衆の支持を失っている気がする。

生前に評価されたい絵描きは、絵だけ描いてろ!ということなのだろう。

それでも大半は評価されないし、
ブログを書くのをやめたら働かなきゃいけないので、
なかなか難しい問題である。

 

🏠暖かな光を求めて移住


日本画を見て日本サイコーとなったゴッホは
日本を知らないのにアルルの暖かな光は日本的だと考え、
そこで暮らし始める。

「黄色い家」を借りたゴッホは、そこで絵描きのユートピアを作ろうと計画していた・・・・・・。

「市場の圧力から自由になって、安心して絵を描ける共同体を一緒に作ろう」
と友人たちを誘っていたという。

引用:僕はゴッホ

なんかリタイア者みたいなこと

言ってますね・・・。

ラブライブサンシャインを見て
聖地の沼津へ移住を計画している私と同じか?

(一刻も早く沼津に行きたい)

 

😭基本孤独


孤独が悪いことだとは思わないが、
ゴッホは基本的に孤独だった。

へんな絵を描き、情緒不安定なため
近隣住民とうまくやっていけなかった。

例の耳切り事件の後、
住民たちはゴッホを精神病院に入れるよう警察署長に請願。
ゴッホは病院にぶち込まれてしまう。
(何もやってないのに、ひどい・・・)

テオに宛てた手紙には
「食事を頼むとき以外、誰とも喋らない日がもう何日も続いているよ」とある

引用:僕はゴッホ

もしゴッホが孤独に苦しんでいたなら
仏陀の教えを学ぶべきだった。

仏陀はこう言っている
「孤独に歩め。悪をなさず。求めるところは少なく。林の中の象のように」

仏陀の教えが理解できるなら
むしろ積極的に孤独になる方が良いと分かるだろう。

 

😭死んじゃう


弟のテオが絵を描きながら暮らせるよう手配してくれたので、
ゴッホはオーヴェル=シェル=オワーズという北方の村に向かった。

オーヴェルでの生活は順調で、小さなカフェの安宿で身を落ち着けた。

下宿先のカフェで昼食をとった後、お気に入りの写生場所へ出かけたゴッホ。
その後何が起きたのか、今となっては誰にもわからない。

ゴッホは自分を撃ったとも
撃たれたとも言われている。

とにもかくにも、
血だらけのゴッホはカフェに戻り、
翌日未明に亡くなった。

ゴッホが生きてた間に売れた絵は1枚しかない。
弟のテオが買い手を探す努力をしたにもかかわらず、である。

しかし、それは芸術界ではよくあることなのである。

日本にも「青木繁」という28歳で亡くなった、
貧乏な絵描きがいた。今の私と同じ年齢である。

(ゴッホが最後に描いた「カラスのいる麦畑」)

死後の名声とかいらないから、
できるだけ長生きして、たくさん創作活動をしたい
と思う28歳無職の絵描きなのであった・・・

100歳は超えたいですね

(黒うさぎ氏が描いた漫画↓)

墨紅 Evil Forest [剣道場 銀の月] | DLsite
少女たちが森で殺し合う。逃げる者とそれを阻む者。この森を抜けるには、どちらかの命を捧げなければならない......。

 

 

 

 

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